博愛

 

特別な一人の人間として選ばれたいわけではない。

浅瀬の海のような無責任で純粋に適当に好意を抱かれていたら良い。

子供のころは皆そうだったはず。

でも大人になると皆変わる。

「好き」という感情を、社会や関係性に発展させようとする発想が理解出来ない。

自分を愛してくれる人に負荷をかけるような「責任」や「社会制度」が恐ろしい。

私はもっと無責任で無根拠で、なんとなく、微笑み、見つめてもらえる程度のそういう「好き」でいい。

人を好きになることはすばらしい、とかいう考え方がある限り、愛を言い訳にした自意識や願望や幻想の押し付けはこの世から消えない。

本当の居場所だと思える名前のつけられないつながりも、そこで生まれた感情も、「社会」の前では無にさせられる。

関係性の名前や呼び名にしばられて、本当に大切なものが見えない。

博愛。

つまりそれは、誰かに個人的な愛情を抱いてはいけないということ。

人間が負うにはあまりにも無茶だけど、私はそれを実現する為に、それ相応の代償は払っている。

だから私にはこの絵空事を、望む権利はちゃんとあると思う。