今思うこと

 

死にたいと書くことで死なないですむのなら、詩は薬よりも役に立つ。

本で探そうとしたのはまちがいだった。救われようとして、どこかの誰かが作った呪文を探したのはまちがいだった。私は私だけの呪文を作らなくてはいけない。

最近は特に。自分がつまらないという事実が年々重くなって、生きるのを楽しめない。絶えず何か楽しいことを探さないといけない。そもそも楽しむ能力がないという事実がとてもしんどい。まだ、半分も終わっていない。とても疲れた。

ふとした躓きで、見えない痛みを捕える。

その痛みをながめていると、意識は十字架の方へと連れ去られていく。

苦しみがなくなるようにとか、苦しみが少なくなるようにとかは求めない。あらゆる出来事に神の働きかけをみる信仰や、ふつう宗教の中に求められるいっさいの慰めは求めない。

そのかわり、苦しみによって何かを失くさないように求める。誰かが私に害を加えてくるとしても、その害悪のためにわたしが堕落しないように求める。実際にはその人が私にどんな害も与えなかったということになるために。

今私たちを温めている湯は、かつて雪だった。

つまり、喜びと苦しみとが対立している訳ではない。そうではなく、それぞれの中でさまざまな種類のものが共有しあっている。地獄のような喜びと苦しみがあり、魂を癒やすような喜びと苦しみがある。

神様はいると考えて充実したよろこびを感じ、自分は存在しないのだと知っても同じ充実感を味わう。これらは全て同じ事である。

ほんの一瞬でも生き延びてて良かったと思える瞬間があればそれで良いのかもしれない。

もう何もかもが懐かしい。

一日一日をきちんと努めて、人に優しくして暮したい。山茶花の花びらが桜貝に見える。何も着ないまま、何も持たないまま、従順に自然の一部分となることのできなかった悲しみが、貝殻をにぎりしめようとする指先にかすかな血となって滲んでくる。

自分の本心でしたことで人を傷つけてしまう。

あの人は、蒼ざめたまま目を伏せて、私とは目を交わさない。あの角度。私はあの優しい斜めの角度を見ていると、あなたという一匹を釣りあげて殺したくなる。純粋さとは、汚れをじっと見つめうる力である。白いままだと信じられている雪はつらい。汚れない雪などどこにあるのだろう。

それでも、毎朝白いシーツを替えて、家を出て、帰宅した時、お布団がピシッとなってることが今の私にはとても嬉しい。この事を生きてる中で一番嬉しいことにしたい。

 

ひとり

 

かつて踏みきったまま

未だ空中をさまよっている足が

虚ろに、けれど現に

角をまがった

なにかとてもだいじなことを

思い出しかけていたのに

視界の左すみで

山茶花の花びらが

耐えきれないように

無惨な散り方をしたので

こんな時

ここにいない人の肌を感じて

 

教会

 

花はいつ死んだのだろう

すでに切りとられ

トゲまでむしられていたのに今更枯れた

血が出たら

血が出たら、救われたのに

もう

腹立たしさや

さびしさによって泣かない

ないものねだりによって泣かない

ひそやかに

控えめに

詫びながら

それでも尚差し伸べられる

世界の

あなたの優しさ

馬の手綱を手渡すようにやすやすと

私を手放したはずのあなたが

私のこころに

しめ縄を張りめぐらしていく