手放す

 

いたわりである筈のものが、時には悪意よりもはるかに深く傷をえぐる。本当にやさしいのは誰か。救われたのは誰か。間違った優しさから何も手放さないでつながれて、互いにとどかない手をさしのべ合って悶えている。溶け合わないから抱き合える、とも言える。手放すものも、手放されるものも、手にするものも、されるものも、じぶんの淋しさのために悔しく、ひとの淋しさのために苦しい。神よ、私のくるしい手放し方が、まだ足りないというのなら、それならば、自分だけ服役してしまう共犯者は裏切者ではないのか。いつも命がけなのは、私ではない誰かだ。私は、こうしていつもたったひとりの上に握った手を差し出すことしかできない。いまこそ大きなやさしさになりたい。痛みごと、傷をつけた爪ごと、すべてを包みたい。時にやさしさから遠くみえたとしても、どうかやりすごしてほしい。たとえ人を破滅に導こうとも感情は正しい。それを殺すことがわたしの愛だ。そうして闇からきりとってゆく、この小さな孤の中が、これが、これだけが私のものだ。孵らない卵。孵らない心。私のなかで繰り返される何という不毛。何というおびただしい死。青空はやぶれた窓から見た時に最も美しい、という。

 

日曜日

 

「こころがくだける」というのは例え話だと思っていた

恨んでなんかいない

うしろ姿を見送り泣いた覚えなんかない

でもたぶん、あの時心はくだけていた

たぶん、あれからずっと助けてって思ってた

それでも助けを求めたのは一回だけだった

あんなにももろい錯覚の保存のために

ひとときを何とかして永遠に似せるために

水をかいて水をかいて

ある日溺れた

言葉があるから私は

死んだ人間から死を切り離せない

完全なことばを創造しよう

永遠にことばを使わなくて済むような

そして、

たのしかった日曜日をさがしに行こう

見つかったらもう黙って生きていこう

 

 

お墓参り

 

みんなのことがあまり好きではない

ということがばれないように、丁寧に、親切に接している。

会ったことがなくても、知り合いではなくても、名乗らなくても、墓場には花を添えることが出来るらしい。

もっと簡単に、名乗らずに、花を一輪供えるぐらいの感覚で、皆に声をかけられたら。

生まれたその時から、誰もが、墓石を持てばいいのかもしれない。

花屋に行っても欲しい花はないけれど。