共生

 

 「出会った責任」「知ってしまった責任」が曖昧にされるこの時代にあって、今何をするべきか。

私には他者を引き受ける覚悟なんてないし、今だって本当は、目の前の現状から逃げ出したくても逃げ出すことが出来ずに、結果的に「知ってしまった責任」を取っているに過ぎないのかもしれない。

しかしこの弱さは恵みだと思いたい。

神様は、実に豊かに「逃げ出すことの出来ない弱さ」を与えて下さった、と。

 

何もしなくてもいい。

何もしないことに罪を感じなくていい。

何もせずただ側にいることが、何かをしてあげることと同じくらい価値があるときもあるのかもしれない。

共にいることが、何をしたか、しなかったか、ということを凌駕する時があるのかもしれない。

そうだとするならば、この服さえも脱ぎ、全てを捨てて、自分こそ持たざる者になってから、共にいるべきではないのか。

神の道に従わなくても良いのか。

考えの末は、必ずここに来てしまう。

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