沈黙を読んで

 

善い結果を得るために、本質的に悪である行為を為すことは許されるか否か。

 行為というのは、その裏にある様々な意図を考慮することなしには完全に理解する事は出来ない。また冒瀆に見える行為も、内なる信仰に基づくなら、敬虔の行為になり得る。

それは「不信の行為」にして「信仰の行為」であり、救うべき人の為に地獄に行く覚悟である。

つまり、愛を美しいものだと見くびらないこと。

それは私にとって小さな発見だった。

陰陽を統合した太極のような愛。

それは決してあり得ないものではない。

私はこの作品から問われている。

私は自分の答えを見つけなければならない。

本当の自分を知る時、ただひざまずくしかない。